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1-04 バックロードホーンの歴史と長岡鉄男氏
バックロードホーンというと、オーディオ評論家として活躍した長岡鉄男氏が有名です。しかし、その歴史は1930年代、第二次世界大戦前に遡ります。
最初のバックロードホーン(1930s)
バックロードホーンについて調べると、1930年代に米英それぞれで動きがあったようです。
1930年代~ イギリス
ポール・フォークト氏(Paul Voigt) が1933年にバックロードホーンに関する特許を取得したところから、バックロードホーンの歴史は始まります。
エジソン・ベル・ワークス社に務めていたフォークト氏は、
1933年 に自身の会社「Voigt Patents, Ltd.」を設立。1934年に、バックロードホーン型スピーカー 「
Voigt horns(フォークトホーン) 」を発表します。
左:英国特許 667170 右:「The GRAMOPHONE」1936年 1月号掲載の広告
このスピーカーの特長は、
フルレンジスピーカーを使っているバックロードホーン型 であること。フルレンジユニットには、高音を伸ばすためのサブコーンや、非常に強い磁束密度を誇る磁気回路が搭載され、長岡鉄男氏の作例に近い構成になっていることが注目に値します。一方で、
構成の中心はユニット前面の大型ホーンであり、低域側は短い音道のみ となっています。
フォークト氏は、他にも多数のスピーカーを製作していたようですが、資料が残っており知名度のあるものは、この「フォークトホーン」だと考えてよさそうです。
当時はバックロードホーンというより、部屋の角に設置するスピーカーという意味で「
コーナーホーン(Corner horn)型 」と呼ばれていました。この区分は、1950年代のクリプシュホーンへと繋がるものと言えるでしょう。
後の1934年に、フォイト氏はO.P.ローサー氏と出会います。羽陽曲折はあるようですが、フォークト氏のバックロードホーンの設計思想は1950年代の「ローサー
TP-1」などの製品に引き継がれていきます。
余談ではありますが、
1934年にフォークト氏はTQWTの構造をもつ「フォークトパイプ(Voigt Pipe)」を発表 しています。現代の自作スピーカーでは、長岡氏のバックロードホーンに対をなすような存在でもあるTQWTですが、その両社がフォークト氏の発案であることはとても興味深いものです。
<参考>
http://www.roger-russell.com/voigt/voigt.htm
https://lowtherloudspeakers.com/lowther-history/
http://quwa.fc2web.com/Audio-102.html
1930年代~ アメリカ
音響工学で有名な
H.F.オルソン氏 (Harry F. Olson)は、1928年にアイオワ大学を卒業したのちにRCA社に入社。
1934年 発売のモニタースピーカー
「MI-4400」 の開発に携わったといいます。
<参考>
Harry F. Olson - Wikipedia
http://quwa.fc2web.com/Audio-102.html
RCA Broadcast Equipment (1940) p.52 より
この「MI-4400」は、そのキャビネットの名称「Type64」とも呼ばれます。6インチ(約16cm口径)のユニットを搭載ながら、60Hz~10kHzを再生するという、当時としては驚くべきフラットレスポンスを実現していました。
箱の構造は、現代のバックロードホーンと近いものです。この形式は「
Conbination Horn and Direct Radiator 」と呼ばれ、オルソン氏の論文や著書で理論的な考察がなされています。
Olson and Hachley, Proc. Inst. Rad. Eng. , Vol24, No.12, P.1557, 1936.
「ELEMENTS OF Acoustical Engineering」p.134, HARRY F. OLSON, E.E., PH.D.,
1940
モニタースピーカーのMIシリーズは、その後も数多く発売されます。一番大きかったのは、
オルソン氏が研究者として学術的な情報を数多く公開していた ことではないでしょうか。音の伝搬を電気回路で考える等価回路(Equivalent Electrical Circuit)という考え方は、その後のスピーカー設計の基礎になりました。
工芸的なフォークト氏のスピーカーと、理論で組み上げたオルソン氏のスピーカー。同じバックロードホーンではありますが、その両者の存在は興味深いものがあります。
Ampex社のバックロードホーン(1940s)
1939年に、第二次世界大戦が勃発。米国では多くの戦意高揚映画や、戦時の市民および将兵に与える娯楽作品がつくられました。
英国在住のフォークト氏も同様の流れを受けたのか、家庭用バックロードホーンスピーカーではなく、劇場用製品の開発で多忙になったといいます。
そうしたなかで、米国では
Ampex社 の
シネマスピーカー「モデル5030/5050」 が1940年代に登場します。これは、ランシング社に属するビル・トーマス氏とバート・ロカンシー氏により設計された製品です。
(左) C-5030, (右) C-5050
ここで登場する
バート・ロカンシー氏(Bart N. Locanthi) について調べると、1960年にJBL社のエンジニアリング担当副社長を務めた方だということが分かります。その後は、1975年にパイオニア ノースアメリカ
デベロップメント社の副社長に就任し「Pioneer HPM-100(1977年発売)」や、CD初期のデジタル開発に携わっています。
日本のパイオニアに関係のある人物ということで、親近感が湧いてきますね!
<参考>
https://forum.speakerplans.com/topic86357&OB=DESC.html
バートロカンシー氏について(Wikipedia)
アメリカ映画とは - コトバンク (kotobank.jp)
「AMPEX C-5030」は、
1940年代 の製品。
15インチ(約40cm)口径のウーハーが小さく見えるほどの大型のバッフルが装着され、劇場用というのを納得させられる作りになっています。Youtube動画では、大型バッフルを生かした量感のある低音を聴くことができます。
画像:LA JAZZ (Yahoo!オークション内)
http://lajazz.jp/
VIDEO
「AMPEX C-5050」は、15インチのウーハーが2初搭載され、ホーンを含めた寸法は幅91cm✕高さ166cm✕奥行90cm(バッフル板なし)。
背面のプレートには「JIMLANSIG by AMPEX」と刻まれています。
VIDEO
クリプシュホーンと名機たち(1950s)
1950年代には、家庭用のモノラル再生スピーカーとして、バックロードホーン型スピーカーが多く登場しています。その一つが「
クリプシュホーン(Klipsch horn) 」です。
ポール・W・クリプシュ氏により1940年に特許 US2310243 A [ Horn for loud-speaker ]が出願されます。劇場用ではなく、
一般家庭の部屋を置くことを想定したバックロードホーンの誕生 です。
<参考>
ハイファイ堂メールマガジン (hifido.co.jp)
https://www.klipsch.com/klipschorn-history
ここでは、特許記載の図面と、商品化された「クリプシュホーン」の図面を並べました。
注目すべきは、特許ではバックロードホーンの構造であったのに対し、
製品版の「クリプシュホーン」はウーハー背面が密閉された構造 になっていることです。
この経緯は不明ですが、同年代の名機として知られる、ヴァイタボックス(Vitavox)社の「CN191(1948年)」、エレクトロヴォイス社の「パトリシアン(1950年?)」、JBL社の「ハーツフィールド(1954年)」も同様の構造になっているようです。
これらのコーナーホーンに、バックロードホーン(コーン両面の放射音を生かす構造)を組み合わせたのが
タンノイ社の「オートグラフ(1953年)」 でした。
有名なのは英国のタンノイ社のものですが、ここでは1954年に創業したアメリカ タンノイ社の「TANNOY AUTOGRAPH STANDARD(1968年頃)」も含めて紹介したいと思います。
米英双方のオートグラフも、純然たるバックロードホーン型の構造になっていることが分かると思います。
日本では、小説家の五味康祐氏がオートグラフを愛用していたことが有名です。その個体は、現在は東京都の練馬区が管理し、年に数回のペースでレコードコンサートを開催しているようです。
(コロナの影響もあってか、2020年2月開催が最新。)
<参考>五味康祐さんのタンノイ・オートグラフを聴きにいった: 愁眉を開く音楽とオーディオ (cocolog-nifty.com)
オートグラフの魂は、タンノイ社の「G.R.F(1976年)」「Westminster(1982年)」、そして「Westminster Royal/GR(2013年)」へと脈々と受け継がれています。私も以前に「Westminster
Royal/GR」を聴いたことがありますが、オーケストラはエネルギー溢れる表現力があり、他のスピーカーでは聴いたことのない感動を味わうことができました。
<参考>
ハイファイ堂メールマガジン (hifido.co.jp)
JBL The Hartsfield‼️ | SOUND CREATE
JBLフラグシップの系譜
喫茶部、エレクトロボイス/ザ・パトリシアン & ガラード301。 : オーディオを考える (exblog.jp)
より小型な製品としては、JBL社の「
C34 ハークネス 」(
1952年 )が挙げられます。キャビネットには「JIM LANSING Signature」と刻印され、先ほどのAmpex社C-5030の直系の製品だといえるでしょう。
この製品は、「C35フェアフィールド(Fairfield)「C36ヴァイカウント(Viscount)」「C37ローズ(Rhodes)「C38バロン(Baron)」、そして「C40ハークネス(Harkness)」といった多数の兄弟機が存在します。
末弟のC40は1967年頃も販売されていたことを考えると、実に
20年近いロングラン になりました。
<参考>
JBL C40 Harkness(ハークネス)の仕様 (audio-heritage.jp)
大手メーカーのバックロードホーン(1970s)
1970年代には、多数のバックロードホーン型スピーカーが生まれました。JBL「4520」のような大口径のものから、国産メーカーによる小口径のバックロードホーンもありました。
JBL「4520」(1971年)
<参考>
JBL 4520の仕様 (audio-heritage.jp)
Thread: THE JBL 4520 BASS CABINET PAPER TRAIL: AN 8 FT or 13 FT folded
horn ?(audioheritage.org)
コーラル音響「BL-25」(1971年)
<参考>
CORAL BL-25の仕様 コーラル (audio-heritage.jp)
他にも、海外ではローサー「TP-1」「アコースタ」「オーディオベクター」、国内では、サンスイ「SP-707J」、ビクター「FB-5」、他にもリオン、ナショナル、オットー、デンオン、ダイヤトーンからバックロードホーン型のスピーカーが発売されました。
ここでは、カタログが入手できた
ビクター社の「FB-5」 について紹介します。
1975年に発売された本機は、「密閉型SXシリーズ、バスレフ型JSシリーズにつづく第3のスピーカー」「ひとつの山にもたとえられる理想原音への対照的なアプローチを試み、それぞれ高い評価をいただいているSX、JS両シリーズにたいして、このホーン・システムFB-5型は、さらに別のアプローチをとりながらいっそう高い頂点への到達をめざしています。」として紹介されています。
<画像>ビクター スピーカーシステムFB-5 カタログ(1975年5月)
しかしながら、長岡氏は1999年の著書で「
(70年代に入って各社から)BHがぞろぞろ出てきて、ブームの観を呈したが、このブームは半年で消えた 」と記しています。
ブームが半年で消えた、という真偽は定かではありませんが、少なくとも1990年代以降は大手メーカーからバックロードホーンの新製品が出ることは滅多にありませんでした。
その背景として、1965年のアコースティックサスペンション方式のブックシェルフ型スピーカー「Technics1」の登場や、1974年の「YAMAHA
1000M」の登場など、
家庭用オーディオの急速な小型化・ワイドレンジ化 があったのではないでしょうか。
<参考>
「バックロードホーン・スピーカーをつくる! 」Stereo 編 ONTOMO MOOK
1-4 オーディオの変遷-初心者のオーディオ入門-評論/情報-AudiFill(オーディフィル)
長岡鉄男氏とバックロードホーン
1957年、30代前半の長岡氏は「安くて、大きくて、いい音がするスピーカーがほしい。」と神田の町を歩いていました。鳴りっぷりの良かった、8P-W1(松下の20cmフルレンジ 通称"ゲンコツ")2発に、ホーンツイーターをもつ、販売店オリジナルのバックロードホーン型スピーカーを購入したといいます。
当時のスピーカーは、スピーカーユニットとエンクロージュアを組み合わせる形式となっており、長岡氏は、自身のバックロードホーンスピーカーについて試行錯誤を続けました。そのノウハウと情熱をもとに、1959年頃からオーディオ評論家として執筆。
1960代後半からは各種バックロードホーンを雑誌に掲載 するようになったようです。
・CW型(1970s~)
最も基本となる形式。初期は一本の管を3つ折りにしたような形式で、空気室はありませんでした。そこから検討を重ね、
1970年代に発表されたバックロードホーン「D-7」 では、空気室を含む構造になっています。この「D-7」は、Fostex FE203を搭載。ホーンの構造は、先に挙げたコーラル社のバックロードホーンと類似していることが特徴になっています。
」
(左)初期の長岡氏のバックロードホーン (右)「D-7」の音道形状
そこから、大きく形状が変わったのが「D-50」です。長岡氏の文章でも「(D-7系統は)音道の長さに制約を受けるのでローエンドが伸ばせない。音道はコニカルホーンのカスケードタイプなので、板を斜めに取り付ける必要があり、これが難しい」と述べており、それらを解消するための進化でした。この時のスピーカーユニットはFostex
FE206Σです。
「D-50」「D-55」の音道形状
さらに強力なユニットFostex FE206S(1988年)の登場に合わせて、「D-55」が発表されました。音道構造はD-50に準じるものでしたが、ホーン開口部はよりシンプルな形状になっています。その後「D-57」「D-58」といった進化系も発表されますが、この「D-55」は低音が出やすいと現在でも人気のある作品になっています。
<参考>
FOSTEX Back-Loaded Horn Special Site 1
FE208EΣx2 バックロードホーン (2): つばき寮 (cocolog-nifty.com)
ピュアオーディオ・AVの日記 フォステクス FE208-Sol 限定バックロードホーン専用ユニット について (fc2.com)
・スパイラルホーン型(1970s~)
渦巻のように、だんだんと大きくなっていくホーンをもつものをスパイラルホーン型と呼んでいます。
発表は、1970年 のステレオサウンド誌が最初になります。
「D-103」 という型番がつけられ、その兄弟機として「D-110~113」がラインナップされています。
スパイラルホーン型の音道形状
この形式の面白さは、外側へ広げれば広げるほど、ホーンを簡単に長く・大きくできる点です。D-113はきわめて長く大きなホーン音道をもつ作品になりましたが、「明らかに一拍遅れの低音」という長岡氏のコメントがあるように、大型化には限界があるようです。
・スワン型(1980s~)
長岡氏の作例の中でも、極めて有名なのが「スワン型」でしょう。
1986年に発表された「D-101スワン」 がその最初の作品になります。
長岡氏のコメントによると「最初から変形BHを目指して設定したものではない。点音源のもつ情感をフルに生かすにはどうしたらよいか(中略)と考えているうちにBHがぼんやり見えてきて…」という経緯のようです。
「D-101スワン」の音道形状
D-101スワンは大成功を収め、ユニットをFE106ΣからFE108Sに変えた「D-101S スーパースワン」、16cm口径の16F20を使った「D-168
レア」、20cm口径のFE208SSを使った巨大な「D-150 モア」など、様々なモデルが存在します。
<参考>
第216回/新任挨拶早々、スピーカー交換の話 | MUSIC BIRD
書籍「バックロードホーン・スピーカーをつくる! 」Stereo 編 ONTOMO MOOK
まとめ
日本では長岡鉄男氏のバックロードホーンが有名ですが、それ以前にも数多くのバックロードホーンが製造されていたことが分かります。ビンテージから、長岡バックロードへの流れを感じていただけたのではないでしょうか。
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