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10. 木材のエージング


オーディオ機器では、エージング、つまり経年変化により音質が向上するということが言われています。特にスピーカーでは、木材の経年変化は気になるところです。

バイオリンの世界では、約300年前に作られた楽器が非常に高い値段で取引されています。これらとエージングは関係があるのでしょうか。

まずは、材料工学の観点から、経年での木材特性変化について説明します。
また、後半ではバイオリンの製作者がエージングについてどう考えているかを紹介します。



長期的なエージング(数十年~1000年)

数十年から1000年を超える期間のエージングを評価する方法として、入手した古材の物性を評価し、それらの物性値と伐採年度から考察する手法があります。

この評価手法は、伐採時点(エージング前)でそれぞれのサンプルが同一であるという、やや違和感のある前提に基づくものですが、超長期での実際のエージングを追うことができる特徴があります。


エージングによるスプルースの構成成分変化エージングによるメープルの経年変化
(左)スプルースの経年変化 (右)メープルの経年変化
「Handbook of Materials for String Musical Instruments」Table.7.1の数値よりグラフ化

上記で示した図は、楽器で使われるスプルースとメープルの経年による組成変化を示したものです。
木材を構成する4成分として、セルロース、リグニン、ヘミセルロース、水がありますが、その中で、ヘミセルロースは比較的早く分解されるのに対し、セルロースとリグニンはエージングによる減衰が少ないことが分かります。


   木材の主要4成分のヤング率
          木材の主要4成分のヤング率
    「Handbook of Materials for String Musical Instruments」FFig7.16より

特にセルロースは、非常に高いヤング率を誇り、木材の強度の中核を占める存在です。そのため、木材は1000年を超えてもなお、実用強度を保ち続けることができるのです。



それでは、エージングによるポジティブな物性の変化はあるのでしょうか。 この分野では、多くの木造建築を有する日本の研究者がリードしており、参考になるデータを示しています。

1954年の小原氏の研究に続き、小幡谷氏(2007) 、野口氏 (2011)らは、ヒノキ中のセルロースの結晶化度が、350年かけて上昇し、その後は穏やかに減少していくことを示しています。そして、圧縮強度、曲げ強度、硬さといった物性も同様の変化を示すとしています。

 エージングによる木材のホロセルロース部位、結晶化部位の変化
 (図a 左)ホロセルロース(リグニンを除去したセルロース)における結晶化部位の比率と、
      木材中のホロセルロース部位の比率
 (図a 右)木材中の結晶化部位の比率

   エージングによる木材サンプルの圧縮強度変化
  (図b)サンプルの経年に対する、圧縮強度の変化
 「Handbook of Materials for String Musical Instruments」Fig7.9より


数百年~千年というと気の長い話ではありますが、300年前のイタリアのバイオリン「ストラディバリウス」が今もなお演奏されていることを考えると、これだけの長期エージングに対する考察も有意義であると言えるでしょう。



また、野口氏は2012年に、赤松の300年のエージングにおける動的粘弾性の変化を測定しています。 動的粘弾性では、木材の内部損失、つまり「響きの良い材料」か、それとも「デッドな材料」かを判断することができます。

   木材のエージングによる音速と損失係数の変化
     経年による、音速と損失係数の変化
    「Handbook of Materials for String Musical Instruments」Fig.7.10より

このグラフで示されるように、経年により木材の音速(VL)はヤング率(EL)と相関する形で上昇。また、損失係数(tanδL)は減少しています。つまり、木材は長時間のエージングを経ることで、「硬くなりつつも響きやすくなる」ことが推測されます。

以上の話を総合的に解釈すると、エージングによる損失係数の減少(響きやすさの向上)は、(振動を抑制する成分である)リグニン、ヘミセルロースの減少・分解、そして、(硬さをもたらす)セルロースの結晶化度の上昇によるものだと考えられます。





中期的なエージング(数か月)

数か月単位で起こるエージングとしては「応力緩和」が挙げられます。楽器や建造物などが作られた際は、少なからず木材に形状変化としてのストレス(応力)がかかった状態になります。


新品のバイオリンの慣らし時間とされる2ヶ月間で、応力が加えられた木材(スプルース、カーリーメープル)は、音速が±7%、減衰率が±30%変化していくこが知られています。

この原因は、木材の内部構造が変化しているためだとされています。複雑な機構を伴うものなので、その詳細は、書籍「Handbook of Materials for String Musical Instruments」の7.3章を参照下さい。




短期的な変化

数時間から数日での変化は、不可逆的なエージングではなく、可逆的なものとして考える方が良さそうです。

例えば、木材は温度の影響を受けます。
とりわけスプルースの損失係数(tanδ)は、10~30℃の範囲で特に大きく変動することが知られています。損失係数は、響きやすさに関わる指標であるため、この変化は音質に与える影響も大きいと考えられます。

  スプルースとメープルの、温度に対する粘弾性の変化
    スプルース(赤線)とメープル(青線)における、温度に対する粘弾性挙動
     「Handbook of Materials for String Musical Instruments」Fig7.21より

こちらのグラフから、10~30℃という一般的な居住空間における温度範囲では、メープルは損失係数があまり変化しないのに対し、スプルースは右肩上がりの変化(高温ほど響きにくい)という変化があることがわかります。



また、木材が振動を受けた際の変化も、注目すべきポイントです。
以下に示すように、振動を5時間加えると、損失係数(tanδ)は約7%減少し、響きやすい状態に変化しています。これは、振動によりセルロース分子の水素結合が弱まったための変化だと考えられています。

   振動を加えた時間に対する、木材の損失係数の変化
    振動を加えた時間に対する、損失係数(tanδ)の変化率
    「Handbook of Materials for String Musical Instruments」Fig7.26より

「定期的な演奏が、楽器の音質を向上させる」という音楽家の主張をしばしば耳にしますが、この結果はそれに合致するものだと言えるでしょう。




バイオリン製作者の考えるエージング(1)

材料工学の観点では、木材のエージングは明らかにありそうです。
それでは、より現実的な視点で、楽器製作に携わる人は木材のエージングをどのように捉えているのでしょうか。

まず紹介したいのは、日本のバイオリン製作者 菊田浩氏です。2006年のヴィエニアフスキーコンクールでの日本人としての初優勝、そして2007年のチャイコフスキーコンクールでのゴールドメダルを獲得するなど、輝かしい実績を残しています。

  


書籍「楽器の科学(柳田益造/編)」では、「古いほどよいヴァイオリン?(P.86)」という問いに対して、菊田氏は次のように答えています。

・「答えはノーです。悪い材料を使った楽器や、未熟な製作技術でつくられた楽器はよい音が出せず、さらに、時間がたつほどに弦の圧力に負けてしまうため、音が弱くなります。

・「ストラディヴァーリの楽器はよい材料を使って精密につくられているので、最初からよい音がしました。

・「現代の新作楽器も、よい材料を使ってしっかりとした技術でつくられていれば、最初からよい音がしますが、ストラディヴァーリのような熟成された音色に成長するには、年月が必要です。


以上のように、経年による音の好ましい変化はあるとしつつも、それ以前に確かな技術で作られたバイオリンであることが大切という見解のようです。





バイオリン製作者の考えるエージング(2)

次に、海外のバイオリン製作者の見解を見てみましょう。

米国在住のジョセフ・カーティン(Joseph Curtin)氏は、バイオリン製作者でありつつ、音響の研究者でもあります。 その独創的な研究が評価され、マッカーサー・フェローを2005年受賞しています。

カーティン氏は、ストラディバリウスを含む古いバイオリンと、現代のバイオリンを、ブラインドテストで比較しました。

詳細は書籍「The Science of Siren Songs Stradivari Unveiled(Ideas Roadshow)」に記載されていますが、
・演奏者、聴衆ともに、新旧のバイオリンを言い当てることはできなかった。
・演奏者10人のうち6人は、最も好ましい楽器として(ストラディバリウスでなく)現代のバイオリンを選んだ。

という結果が得られています。

つまり、ストラディバリウスや古い時代のバイオリンの人気とは裏腹に、現代のバイオリンも同等以上の音を奏でることができたのです。

一つ付け加えておく事があるとすれば、上記のブラインドテストでは評価者の採点結果は無秩序ではなく、有意義な傾向をもった(つまり聞き分けは出来ていた)うえで、上記のような結果になっています。 また、特定の「好み」に基づく結果もあり、ストラディバリウスを好ましいとする試聴者もいたそうです。


余談ではありますが、カーティン氏は、ドイツのバイオリン製作者・研究者のMartin Schleske氏と共に、小型のインパクトハンマーによるバイオリンの音響測定を行ないました。 その結果、バイオリンは800Hz以上の帯域で強い指向性をもつことが明らかになり、「directional tone colour (指向性音色)」があるという考えに至っています。

 バイオリンの測定 Measurement Rig | Joseph Curtin Studios


こうした測定を含めて、ストラディバリウスには特定の優位性があるとしつつも、その主要因がエージングであるとは考えていないようで、構造(部材の重さなど)に由来する音響的な効果であると説明しています。


現代のバイオリンは、ストラディバリウスを超えられるかという問いに対して、カーティン氏は以下のような返答をしています。
・クラシックの世界は保守的であり、ストラディバリウスと全く異なる音のバイオリンが出来たとしても、それが演奏者に受け入れられるかどうかは熟慮する必要がある。
・新しいバイオリンの意義として、より使いやすくすることがある。壊れやすい部分を補強したり、不必要な装飾を変更することが挙げられる。

バイオリンの世界では、音を変えることはできるが、変えることが演奏者に受け入れられない可能性がある、という難しさがあるのでしょう。


こうした現代のバイオリン製作状況については、下記の論文・記事が参考になると思います。

「クレモナにおけるヴァイオリン製作の現状と課題」(大木裕子、古賀広志)

「作り続ける中で見えてきた、究極の“普通”を求める姿勢」 [バイオリン職人] 松上一平




スピーカーにおける木材のエージング

さて、こうして材料工学と楽器製作の観点から、木材のエージングを見ていくと、スピーカーとしては次のことが大切だと言えそうです。

・確かな基本設計
・エージングの影響を生かせる無垢木材を選ぶ
・数十年単位で使ってもらえる工芸的価値をもたせる


スピーカーの原理が発明されてから100年余りが経過し、中古オーディオ機器は活発に取引されています。 新しい製品が良いのはもちろんですが、古い製品も決して悪くないという現在の状況は、スピーカー技術の成熟を表しているものと考えられます。

新製品を追いかけるように買い替える楽しみ方から、本当に優れたものを長く使い続ける楽しみ方に変わってくるのではないかと考えています。 それは、楽器の名器が多くの人の手に渡り愛され続けるのと同じあり方だと言えるのではないでしょうか。

楽器と同じように木材のエージングを吟味できる、大切に長く使ってもらえるオーディオ機器の製作が、今後のオーディオメーカーには求められると考えています。








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